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有明海

2012-05-27
小さい頃、よく聞いた言葉がある。
それは「金がなければ海に行け。海に行けば金はごろごろころがっている。」という言葉だ。
海には、貝や魚がたくさんいるから、それを獲れば十分食っていける、という意味で言われていたと思う。
相撲や野球でよく言われる「相撲の土俵には、金が埋まっている」「グラウンドにはお金が落ちてる」
というのと同じようなニュアンスだと思う。
もちろんそれには「努力すること」を前提としていることはいうまでもない。
こちらで言う海というのは、もちろん、われわれがいつも恩恵をこうむっている「有明海」のことだ。

矢部川は、今は護岸工事できれいになっているが、自分が小さいころは、船着場の少し上流のところからは、
両岸に葦が生い茂っていた。茂みの中には小鳥が隠れていて、よく網をしかけて獲りにいったものである
(今は法律で禁止されている)。両岸とも潟になっていて、みんな潟まみれになって遊んでいた。
おかげでその時、トラコ-マ日本一の小学校として有名になったことがある。全校生徒が、定期的に、
ねばねばした目薬を目の中にさされていたことをおぼえている。

潟を少し掘れば、ミミズのようなムカデのような、やわらかく細長いものがたくさんいた。それが釣りの
かっこうの餌であるゴカイとは、全然知らなかった。当時は海での釣りの餌には、アサリやアゲマキなどの
貝の身を使っていた。
またドロガニ(と呼んでいたと思う)やカタアシガネ(シオマネキのこと)、ムツゴロウ、トビハゼなどが
川の両岸の潟のところにもいっぱいいた。今では全く信じられないような光景だが、当時は極当たり前で、
見慣れた情景だった。
今はここらでは、海ででも少ししか見られない(カタアシガネは皆無だ)。

川では、流れに向けて川幅いっぱいに何艘も船を並べ、「くもで網」で漁をしていた。
網を引き上げる度に、大きな魚がたくさん入っていて、それを「たも」ですくい獲っている情景は、
見ているだけでも子供心に楽しいものだった。


          
                 カタアシガネ(シオマネキ)の傍で
                 ムツゴロウが跳びはねています


小さい頃親戚の船で潮干狩りに連れて行ってもらった時、潮が満ちてきて船に帰っていたときに、クチゾコ
(舌ビラメ)を踏んづけたことがある。獲ろうとしたら、ころんで逃がしてしまったのが残念だったという
思い出もある。足の感触から十分におかずになる位の大きさはあったと思う。
また海水に浸かった潟にはタイラギがいたるところに口を出し、踏んで怪我をしないように気を使って
歩いた思い出もある。
また「はぜ」の漁では名前も知らない魚がたくさん獲れていた。
有明海は、まさに宝の海だった。

今はどうかといえば、今でもやはり宝の海に変わりはない。
地球温暖化、海底の陥没、海岸の護岸整備等々で有明海の環境条件が、以前とは変わってきているものの、
海に棲む生き物はまだまだたくさんいる。
干拓の堤防から海側に下りていき、波防のために敷き詰められた岩に立ち、海を眺めていると、魚がたくさん
飛び跳ねている。
潟の中にはワラスボや貝がたくさんいる。ワケンシンノス(イソギンチャク)もいる。
釣りにいけば、海岸からでもスズキやウナギ、グチ、セイゴ、エ-ガンチョ(エイ)などがたくさん釣れる。

有明海の冬の名物としては、海苔の養殖がある。
何万本もの竹(海苔網支柱)を立て、それに取り付けて、張った網に育つ海苔の養殖の光景はまことに
壮観だ。
収穫量も眺めに負けずに「日本一」を誇っている。

有明海にはいつまでも、我々に多くの恵みをもたらす「宝の海」であって欲しいと願っている。

            
                   潮が引いて広漠とした有明海。
                   そこは、多くの生き物が棲んでいる
                   「宝の海」です




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固定クリップ(農園芸用支柱止金具)-1

2012-04-27
先日、固定クリップを製作してくれる会社まで、打ち合わせに行く。会社は県外で、車で片道約3時間
の所だ。
特殊な製品だから、製造出来る会社は九州にも数社しかない。久留米の企業に勤めていた友人の紹介だ。
自分で探した時は、大阪や東京の会社しか思い当たらなかったので、こんなに近くに
見つかって大変助かった。

固定クリップの意匠登録査定までは何とかクリア出来たが、これから先はどうしたらよいのか全然
わからない。従来の仕事である機械設計業務とは、分野が違い、全く勝手がわからないため、
まるっきりの手探り状態だ。
どういう方針を立て、どういう行動をしていけばよいのかなど、いろいろと勉強したり、調べたり
しているうちにすっかり手間取ってしまった。

       
                        キュウリ (のつもり)

打ち合わせから数日して、FAXで費用の連絡が来る。さっそく製作を注文する。それから10日位経って
電話したら、まだ材料が入って来ないから製作にとりかかっていないという。材料の入荷予定を聞くと、
わからないという返事だ。
それでは予定も立てられないし、先に進めない。

それなら自分で,なんとかその材料を探して調達出来ないだろうかと思い、別の友人に聞く。
彼の話によれば、固定クリップは特殊な材料だから、材料のメ-カ-としては、ある程度の注文量に
達しなければ製造しない。普段使用するものだったら大量に生産するからすぐに入手できるが、
めあての材料は2ヶ月位待つ必要があるだろうという。商社にしても、そういう材料は普段
在庫として持ってるものではなく、またすぐに入荷することが出来るものでもないそうだ。

2ヶ月待つのは長すぎる。とりあえずその会社の在庫にある材料に合わせて固定クリップの寸法を
変更しようと思い、その旨をメ-ルで連絡する。もちろん図面もそれに合わせて変更
しなければならないが、それはこちらの専門だ。

その日の夕方近くに会社のほうから連絡があり、材料が手配出来たということだった。さっそく製作に
とりかかると言ってくれた。
ありがたいと思った。いつになれば次の段階へ進めるのだろうかいう気持ちだったので、正直に言って
ほっとした。
まだまだ今からだ。がんばろう。
          
                        



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清水山

2012-04-19
みやま市は瀬高町にある清水山に、毎月1回女房と訪れる。何日に行くかは決めていないが、
今月は4月1日だった。午後の出かけるには少し遅いかなという時刻に出発した。
清水山は車で20分位の所で、女房の実家も瀬高町だから、出かけるにしても地元的な感覚で、
時間はいつもル-ズになってしまう。
着いてみると、桜がほとんど満開の状態だが、ピ-クより少し前位の時期で、花がしっかりと
木にしがみつき、丈夫に咲いていた。散ろうとしている花びらは1つもない。見ごろとしては
最高の状態かもしれない。2,3日前まではまだつぼみの状態だったが、このところの暖かさで
急に咲き出したのだろう。

清水山は四季折々で、季節によっていろいろな表情があるが、春、夏、秋、冬、どの季節もいい。
木、草、小鳥、昆虫、雨、風、露、霜、霧、霞、暑さ、寒さ、暖かさ、涼しさ・・・全てを調和
の中に包み込んでしまう。そしてそこを訪れる人々を癒してくれる。
いつ来ても空気がうまく、さわやかさとすがすがしさが蘇る。
皆さんも清水山にくれば、心の洗濯になると思う。

清水寺に参拝して、帰りに女房の実家へ寄ったら、早くも夕食を食べようとしているところだった。
桜の話をしたら、90歳になる女房の母は夕食の御膳をさっさと片付けてしまって、でかける用意
をしてしまった。以前からのてきぱきしたところは、まだ健在だ。若い時は、それを少しうるさく
感じたときもあったが、今ではそれをいとおしく思う。
ハハ(義母)にはいつまでも元気であってほしい。


               清水寺の山門
               清水寺の山門
                 (福岡県指定有形文化財)
                 右側に本堂への上り階段が
                 有ります。


               清水寺の三重の塔
               三重の塔
                 (福岡県指定有形文化財)
                 カメラ  :女房のケイタイ
                 撮影者 :女房
                 桜もちらっと写っていますが、
                 こんなものではありません・・・。
                 思ったより上手に撮れてます。



清水山に行くには、時間的に少し遅いようだし、また山道で大変かなと思ったので、ル-トを変えて
船小屋の堤防の桜並木を見に行くことにした。こちらも清水山と同じような状態で、かなりの見ごろ
だった。

               船小屋の桜
               船小屋の桜
                 車の中から撮影。
                 しっかりと咲いています。
                 この後、矢部川沿いに、
                 八女まで足をのばす。



船小屋は、車から降りずに、スピ-ドを落としてゆっくり通りながら見ただけだった。それでも
ハハが喜んでくれたのが、なによりうれしい。
しかし、これだけで帰るのは何だか物足りなく、そのまま矢部川沿いに八女まで足をのばした。
八女市の矢部川沿いの桜は。本数は多かったが、3,4分咲きというところだろうか。まだつぼみが
多い状態だ。
数は船小屋の比ではない。満開になればさぞや壮観だろう。

帰りは、ハハから八女市の食事処で夕食をごちそうになる。
夕食もうまかったが、
その日一番の主役は、ハハのうれしそうな顔だった。





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文人の足湯

2012-04-10
柳川市の観光の目玉の一つである川下り。「柳川藩主立花邸御花」がその終着点になっている。
その「御花」(「柳川藩主立花邸御花」)の裏門から川下りコ-スの掘割にかかる橋を渡り、
それから掘割に沿って歩くと、すぐのところに「からたち文人の足湯」がある。それは「御花」の
裏側で、「かんぽの宿」のすぐ隣に位置する。

柳川は多くの文人を輩出している。先ず初めは「安東省菴」。この人は後に柳川藩の藩校「伝習館」
となった私塾を創設している。また中国で明朝から清朝に代わる時、長崎に来て最終的に日本に亡命した
儒学者朱舜水との深い関わりは有名だ。儒学者朱舜水は、後に水戸光圀の招聘を受け、水戸学に大きな
影響を及ぼした人である。
ほかに海老名弾正 藤村作 詩や歌で有名な北原白秋 木村緑平 長谷健 檀一雄などもいる。
「からたち文人の足湯」には、そういう人たちを紹介する顔写真入りのパネルが設置されている。
「からたち文人の足湯」という呼び名は、そういう人たちに因んでつけられた名称だろう。

浴槽は幅1m位だろうか、長さは1辺が20m位でL字形になっている。直線にすると40m位になり、
向かい合わせで浸かることができるため、足湯としてはかなり大きい施設ではなかろうか。
お湯は天然温泉で、温度は50℃前後、泉質は、ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉で神経痛、筋肉痛、
関節痛、冷え性、疲労回復などに効果があると書いてある。
無色透明、無臭で、澄んでいるためながめているだけでも気持ちがいい。

無料で誰でも入れるため地元の人たちが入れかわり立ちかわりやってくる。自分もその中のひとりだが・・・。
20分も入っていると体全体が温まってきて、確かに健康に良いのだなと実感できる。
「御花」を訪れた観光客の人たちが、偶然通りかかり「足湯」を見つけ、よろこんで入り休憩していくことも
たびたびである。
そして、ほうぼうの老人施設の人たちも団体でやってくる。
休日には、家族連れや、若いカップルの人たちもよく見かける。
いつぞやは冬の一番寒い時に、近くの女子高校の生徒さん達が、担任の先生もいっしょに1クラス全部で
やってきた。そのにぎやかさ、明るさで寒さがたちまち吹っ飛んでしまったこともある。
「からたち文人の足湯」はけっこう人気がある。あまり目立たないが、観光の隠れた穴場といえる。

もうひとつ、最近カササギが傍の木の上に巣を造り始めた。小さな木で、やって来る人も多く、
すぐに手が届くような所だが、恐れることもなく、せっせと作業を進めている。カラスがきた時は、
さすがに騒がしく鳴き始めた。子供がうまれ、無事に育ってくれることを祈りながらながめている。
これも憩いや癒しを求めてやってくる人たちのために、「からたち文人の足湯」に添えられた
ひとつの華だと思う。


               
               「からたち文人の足湯」に浸かりながら見た景色。
               左側の木にカササギが巣を造っています。
               手がとどきそうです。


                
               夫婦でせっせと巣造りをしています。
               子供が無事に育ってくれることを祈るだけです。
                 (カメラがないのでスケッチしました)





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くい打ち機-1

2012-03-11
30年近い前頃、親戚の話で海苔の仕事でいちばん骨が折れるのが支柱立てで、もっと楽に仕事が出来る
機械があれば大変助かるのだが、というのを聞いたことがある。それより以前から、多くのメ-カ-が
そういう機械の開発に取り組んできたらしいが、今に至るまでまだ一度も成功していない。その親戚の話を
聞いたとき今回の「くい打ち機」の構想は思い浮かんでいたが、原理的には難しいものではなく、
また多くの業者さんが取り組んでいるからいつか出来るだろうと思っていたが、いつまでも現れてこない。
その後いつか、海苔をやっている別の親戚に聞いてみたら、そういう機械はとても無理、絶対出来はしない、
と言下に否定されてしまった。そうかなと思いながら日にちが経ってしまったが、この度さらに別の親戚(
今回世話になった親戚)から海へ何度も連れて行ってもらい、作業の様子を見せてもらった。そして自分が
発案しているものを、船の揺れに対応できるように使えばうまくいくのではなかろうかと思い特許出願に
至ったものである。簡単に言えばこういうことだが、その中にはいろいろな人の好意があった。
一番最初は支柱を立てる時期ではなかったため、参考になればと言ってその親戚の紹介で、海に網を
仕掛けて魚の漁(これを「ハゼ」と呼んでいる)をしている親戚(これもまた別の親戚)に連れて行って
もらい、仕掛けのための竹(孟宗竹)を立てる作業を見せてもらった。そしてそれに基づいた装置を考案
したが、海苔の支柱立ての作業とは全く状況が違うため、「ハゼ」にはよいが、「海苔」には全然使いものに
ならないものだった。そしてその後何度も海苔の支柱立ての作業を見に連れて行ってもらうことになった。
-(余談だが、「ハゼ」とは直径約20cm、長さ20m以上の孟宗竹を数千本(ひょっとしたら1万本以上
あるかもしれない)、八の字状に立てて、先の狭くなったところに網を仕掛けて魚を獲る漁で、仕掛け自体も
「ハゼ」と呼ぶ。)-
そして簡易テストのために電動ハンマ-を気軽に貸してくれた知り合いの鉄工所や、テストの時手伝って
くれた友人、別の日には女房も手伝ってくれたし、子供たちもいろんな面で支援してくれた。親戚は何度も
海へ連れて行ってくれただけでなく、まだ使えそうな支柱をテスト用にと譲ってくれた。
こういう人たちのおかげで特許出願することができたのだから、「くい打ち機」を製品として完成させることが
一番の恩返しだと思っている。




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